紡ぎだす椅子

兵庫県の三木市にひとりの鍛冶師が居る。

いわゆる変わり者だが所謂職人ではない。
毎年、鉄の事情と高山植物を見に、ヨーロッパを2週間うろうろして廻るのだが、空港に着くとナビ付きレンタカーを借り、自分の行きたい所へ妻と二人でドライブする。ホテルの予約なし。もちろん日本語オンリーである。63歳。

発端は、この男が持ってきた15センチ程の小さな鉋だった。
私は木工に携わって35年になる。オーダー家具を主に作っており、一通りの技術は解っているつもりだった。
「ワシが作った鉋や。箸なんか削って遊んどんのや。あんた、これ一遍使ってみてや。」
本業はのみ作りだと聞いていた男の持ってきた鉋は、そのふてぶてしい態度とは裏腹に、つつましい外見である。

この鉋が切れた。

のみ鍛冶の打った鉋の切れ味に驚き、翌日工房を訪ねると、彼は2階にある隠れ部屋の様な所に案内し、引き出しを開けてくれた。
そこには鉋の刃だけがびっしりと詰まっていた。大方は寸八の平鉋の刃である。
「これは、ワシが千種川に砂鉄を取りにいって作ったんや。」
世間話のように話す内容はしかし、驚きに満ちていた。これは玉鋼の鉋である。玉鋼とは日本古来の製鉄法であるタタラによって創り出され、日本刀の材料としても有名な鋼で、現在は主に刀鍛冶用に島根県安来(やすぎ)でわずかな量が作られている。
「もちろん、タタラも自分で作るんや。」
「三日三晩吹くねん。」
あくまで謙虚である。

何故そんな手間な事をするのか。玉鋼なら手に入れる方法もあるだろう。
「玉鋼は世間でよう言われて知られとる。そやけど、玉鋼言うたらどんなもんかは、一から自分で作ってみんとわからん。」
「偉い人の言うことや、本に書いたある事。信じたらあかん。頼りは自分の目ぇだけや。」
「なんやったら、この鉋貸したるから、使てみるか。」

ぼうぜん私は呆然と彼の工房を後にした。自分の仕事場に帰りつくのももどかしく、借りた玉鋼の鉋を取り出し、刃を抜き、砥石を直し、研いでみる。1枚刃の鉋である。
既に刃はついている。刃金と地金の境目が不明瞭で、仕上げ砥石を当てると、刃金が2段に分かれているのが見える。研ぎやすく、研ぎ味は良い。

ここで少し説明すると、私たち家具を作る物は針葉樹より広葉樹をよく使う。木理が複雑で、逆目が出易いため、普通は2枚刃の鉋(逆目を止めるため押さえと呼ばれるもう1枚の刃が向い合せに入っている)を使用する。一枚刃の鉋は、削り肌は美しいのだが逆目には無防備である。

私は敢えて欅の玉杢を選んだ。九州綾産。非常に美しい杢目が出ている古木の厚板で希少な木材だが、どちらから削っても逆目が起きる。

機械の手押し鉋を通し、いつも使っている2枚刃で削ってから、台を調整した玉鋼の鉋を当ててみた。ん、刃が低すぎたか。はじめはそう思った。
しかし鉋からは削りくずが出てきている。
音がしなかった。

よく切れる鉋はシューッ、シューッと削れてゆく。ところが、この鉋の音はあえて言うなら、ズスーッスー、ズスーッスー、としかも軽い。逆目は一切起きず、音もなく切れていく。これは一体何だ。
一瞬、今やっている行為と想像している結果とに著しいずれを感じた。鉋をかけて初めて鳥肌が立った。幾度も削ってみた。

経験したことのない軽さと心地よさが手を伝い、私を包み込んだ。
噂に聞いていた日本刀の切れ味とはこれなのか。何故音がこんなに柔らかいのか。この抵抗感の無さ。しばらく私は強いカルチャーショックを感じていた。日本に住みながら、それも正面から。
私の知らない文化を持つこの国に対して。

初めて私の仕事場に来て、私が鉋を使うのを見て彼は言った。
「あんた。鉋をよぉ使わんな。」けんかを売りに来たのか。
「あのなぁ、木が痛い痛い言うとんのが聞こえんのか。その刃でひげそってみぃ。」
「だいたい、木を鉋の台でこすんな。」
「力入れるな!」
と散々である。

一般には「鉋は台で削れ」と言われている。台を正確に調整し、逆目のある材には『台を木に押し付けゆっくり削る』のが常識となっている。しかし、彼は違う。
「台はあくまでガイドや。」
「刃だけで削れ。台を押しつけたらあかん。」

つまり、台を当てにせず、刃の切れる感触だけを頼りにして削る。
私はこれを「浮かし削り」と呼んでいるのだが、鉋台を木に対して浮かす様にして持って行くこの方法で削ると、従来の仕上がりとは明らかに違ってくる。
木の艶や手触りが自然で、上品な輝きを持っている。削る技術が進むにつれ、木に対する意識が変わっていくのがわかる。木が透明感を増し、生き生きとした表情を見せる。
手の感覚が木の繊維の流れを探り、よく切れる刃物が逆らわずにその表面を切ってゆくと、思いもかけぬ美しさが現れる。細胞一つ一つが、複雑な組織が、光り輝き、ベールの下から美女が出現する。

今まで本当に申し訳なかった。
木は痛い痛いと言っていたのだ。

日本の鉋だけがなし得るこの技で椅子を作ろう。
どんな曲面でも、逆目の木でも、今まで不可能だと思われてきた鉋による仕上げがこの鉋ならばできる。世界で唯一のkanna-finishの椅子を世に送り出し、日本の鉄の文化や、木の本当の姿を人々に問おう。弟子のいない、このままでは消え行く鍛冶師のこの技を伝える為に私にできる事は、ただ魅力ある椅子を作ることだ。
私はそう思った。

それから鍛冶師、大原康彦氏との共同作業が始まる。椅子の曲面に合わせたいろいろな小鉋を作る為に様々な種類の鋼を試し、大きさや薄さ、重さを変え、既製の小鉋には無いオリジナルな形状のものが出来上がっていった。

私は氏の鉋刃に合う台を作り、木に対する。大原氏はそれをじっと見ている。そして新しい刃を持ってくる。
丸一年その作業が続いた。

物づくりはまずデザインである。作ろうとする物のイメージを明確にし、素材を決め、そして思い通りの形にする技術力。この三つがうまく流れると良いものが生まれる。多くの作り手は異存なくこう思っている。私も今でもそう思っている。
しかし大原氏との交流の中で、技術を支えている道具が物の本質をつかみ出し、それがデザインまでも変えて行く事に気付かされた。一枚の小さな鉋刃のうしろには、ほとんどの日本人が知らない暗く巨大な世界があった。

ある日工房に立ち寄ると、氏は自らが作った玉鋼の延べ板を、おこった炭の中に入れては金床の上で割っていた。その作業を繰り返し繰り返し行っている。一体何をしているのか。手間をかけて作った鋼を無造作に割って行く。

「色を見とるんや。よう見てみ。この温度で焼入れした時のこの切り口。」

見せられた鋼の割れ跡は銀色で、つぶつぶとした粒子が整然と並んでいる。焼入れ温度の違った場合粒子が乱れているのがわかる。ほとんど暗闇と言った工房で氏は1人黙々とその作業をしている。微妙な色の違いを体得し、最高のものを作ろうとする。

「このふいごで風を送るやろ。小さい炉には小さいふいご。送り方が大切や。送り口には狸の皮が張ってある。ええ皮が少ななってる。」
「火がやんわりと赤いやろ。火力の強い炭やったらこうならん。やんわり赤まなええもんはできん。」
「木の仕事もそうやろけど、この仕事も一緒や。こればっかりやっとってもあかん。なんぼやってもそこまでは行くんやけど、もう一歩、もう少しいうところから先ができん。野ぉの花の事や、鳥の事や、いろんな事を知らななぁ。遊ばなあかん。」

私は思う。日本が培ってきた文化は、儚げであるかに見えるが、それはほんの一面に過ぎない。本来は海に浮かぶ氷山のように、その九割はこの緯度では世界に類を見ない、複雑で多様性を持った自然を取り込み、一体化しようとする野太い試みではなかったのかと。

欧米人が永遠の美しさを求め続けてきたのとは異なり、古来より日本人の琴線にふれてきたものは“寄る辺なき美しさ”だと思う。

春の何気ない野辺の一隅に、祭りの終わった神社の拝殿に、秋のたった1回の夕焼けに、そして到る所に、それは突如として現れる。美しさに心揺さぶられ、たたずみ、時が過ぎて行く。夜眠れないような興奮や、感動はそこにはなく、ただそれだけで終わる。

変わり行く一瞬を形にとどめる。普段使ったり、座ったりしているものがつましい美しさを持ち、ある時、ふとそれを美しいと感ずる。そういう家具をやはり私も作っていきたい。

ペーパーで仕上げた物と鉋のそれとの違い。わずかな手ざわりの差。この小さな違いが価値観を変えるという大きな転換のきっかけになればと、椅子の足を削りながら密かに思っている。